相撲界から政界、そして現在は実業家・タレントとして活躍する旭道山和泰。軽量級の力士として華々しい成績を収めた後、政治の世界へと挑戦し、さらにはタレントや実業家としても多岐にわたる活動を展開しています。その人生は、挑戦と変革の連続と言えるでしょう。本記事では、旭道山の力士時代の栄光、政界での取り組み、そして現在の活動について詳しく追っていきます。その軌跡を通じて、彼がどのように「待ったなし」の人生を切り開いてきたのかを紐解きます。
生い立ちと角界入り
旭道山和泰(本名:波田和泰)は、1964年10月14日に東京都世田谷区で生まれました。しかし、3歳の時に鹿児島県の徳之島に移り住み、以降の少年時代を南国で過ごします。幼少期には剣道やバレーボール、陸上競技に熱中し、地元大会や県大会で数々の優勝を果たすなど、運動神経の良さを発揮しました。
彼が相撲界に進むきっかけとなったのは、母親の「人生をかけて挑戦しなさい」という強い励ましです。1980年、中学卒業後に大島部屋に入門。新弟子検査では体重が規定に満たない中、最後の手段として大量の食べ物や水を摂取して70kgに達し、なんとか検査をパスしました。同年5月に初土俵を踏むと、7月には序ノ口で優勝を果たし、将来を嘱望されました。
力士としての輝き
旭道山は「南海のハブ」と呼ばれるほどの俊敏さと鋭さを持ち、軽量級ながらも数々の名勝負を演じました。1989年の新入幕を皮切りに、1992年には小結に昇進。この年、横綱や大関を相手に活躍し、殊勲賞や敢闘賞を受賞しています。
彼の取り口は「張り手」や「上手投げ」といった大胆で攻撃的な技が特徴で、特に1993年の3月場所で新横綱・曙太郎を下手捻りで破った一番は、彼の唯一の金星として記憶されています。また、対戦相手を秒殺した取り組みは「0.8秒で決着」という記録を残し、現在でも語り草となっています。
しかし、その一方で体重が軽かったことや真っ向勝負を挑む姿勢から、怪我に苦しむことも多く「怪我のデパート」と揶揄されることもありました。
突如の政界進出
旭道山が突如政界進出を発表したのは1996年のことです。この時、彼は現役力士として活動していましたが、第41回衆議院議員選挙に新進党から比例近畿ブロックで立候補することを決意。そのため、相撲協会に廃業届を提出しました。彼の政界進出は、力士としての活躍に終止符を打つ大きな転換点でした。
選挙では、比例代表でギリギリの順位で当選を果たし、国会議員としての第一歩を踏み出しました。初登院の際にはまだ髷を結った姿で羽織袴を着用して登場し、議員運営委員会で議論を巻き起こしましたが、これらは全て承認されることとなりました。
【今日は何の日】
— 大阪のじいちゃん。 (@UGGvaopCywaIusc) February 11, 2024
1997(平成9)年2月11日
「南海のハブ」
元小結・旭道山和泰 引退断髪式
力士の引退を『廃業』と読んだのは旭道山が最後。
断髪前に参議院議員に当選。『丁髷』で国会登院、
ワシは、未だに職業として『大相撲から引退、身を引く』から『廃業』ってイメージがある。#旭道山 pic.twitter.com/nz8cixsGk8
国会議員としての取り組み
旭道山は国会議員として、文教委員会や厚生委員会、離島振興対策特別委員会など、多くの委員会に所属。彼の取り組みの中でも特に重要視されたのが、地元徳之島を含む奄美群島の振興に関する法律の成立に寄与したことです。また、介護保険法の審議にも積極的に関わり、福祉や地域活性化に貢献しました。
さらに、1998年にはキューバを訪問し、当時のフィデル・カストロ大統領と交流を持つなど、外交面でも活躍を見せました。しかし、2000年には次期選挙への出馬を辞退し、政界から退きました。この決断に際し「自分の人生を次のステージに進める」と語り、再び新たな挑戦を開始しました。
政界引退後の実業家・タレント活動
政界を退いた旭道山は、2000年に健康食品の製造販売を手掛ける「旭ドリーム」を設立。さらに、2009年には銀座で焼肉店「焼肉Kyoku」を開業し、飲食業界にも進出しました。このほか、都内に複数の店舗をプロデュースし、実業家としても精力的に活動しています。
また、タレントとしての活動も開始。テレビ番組やラジオへの出演、相撲解説者としての活動を通じて、相撲界や政治での経験を広く発信しています。さらに、全国各地での講演活動にも力を入れており、若者やビジネスパーソンに向けたメッセージを発信し続けています。
現在の活動と展望
現在、旭道山は企業の顧問やメディア出演、講演活動など多岐にわたる活動を行っています。彼の講演では、力士としての厳しい修行や政界での経験をもとにした「挑戦と成長」をテーマに、多くの人々に勇気を与えています。また、地元徳之島の振興活動にも力を注ぎ、地域社会への貢献を続けています。
さらに、近年はSNSやインターネットを通じて自らの考えや活動を発信することで、新たなファン層を獲得しています。相撲解説では「現役時代の視点から見た相撲」を語り、相撲愛好者からも高い評価を得ています。
終わりに
旭道山和泰の人生は、力士、政治家、実業家、そしてタレントと、多岐にわたる挑戦の連続でした。そのどれもが一貫して「真っ向勝負」の精神に貫かれており、多くの人々に影響を与え続けています。彼のこれからの活動にも目が離せません。
「人生は待ったなし。挑戦を恐れず前に進むことが大切」と語る旭道山の姿勢は、多くの人にとって励みとなることでしょう。