ペルー元大統領アルベルト・フジモリ死去 死因は?亡命から現在までの経歴 わかりやすく解説

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ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領が9月11日に死去いたしました。アルベルト・フジモリ(Alberto Fujimori)は、ペルーの元大統領で、1990年から2000年まで在任しました。
彼は日本にルーツを持つ日系ペルー人で、ペルー政治に大きな影響を与えた人物として知られています。

今回は、彼のプロフィールや経歴、功績、そして彼の病気、死因について詳しく説明します。

この記事でわかること

・アルベルト・フジモリ元大統領のプロフィール
・経歴
・大統領時の功績
・病気と死因について

アルベルト・フジモリ元大統領のプロフィール

きーちゃん
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アルベルト・フジモリは、日本にルーツを持つ初の日系ペルー大統領であり、ペルーにおける政治、経済、治安改革に大きな影響を与えた人物として知られています。

引用 https://www.yomiuri.co.jp/world/20240912-OYT1T50034/

名前:アルベルト・フジモリ(Alberto Fujimori)
生年月日:1938年7月28日
出身地::ペルー、リマ
国籍:ペルーおよび日本(日系二世)
職業::政治家、元大統領、元学者(農学および数学の学位を取得)
配偶者:スサーナ・ヒグチ (1994年離婚) 日本名:樋口 静子
家族:4人の子供(長女はケイコ・フジモリ、政治家で複数回大統領選挙に出馬)
在職期間:1990年7月28日~2000年11月22日

経歴

きーちゃん
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アルベルト・フジモリは、リマ国立工科大学で物理学を学び、その後、アメリカ合衆国やフランスで教育を受け、農学および数学の学位を取得しました。1980年代にペルーの学界で活動を行った後、彼は政界に進出します。

大統領時(1990年)

フジモリは1990年のペルー大統領選挙に無名の候補者として出馬しました。当初は知名度が低かったものの、彼の「低コストでの改革」を掲げた選挙キャンペーンが功を奏し、作家で政治家のマリオ・バルガス・リョサを破り、大統領に選ばれました。

大統領辞任と日本への亡命(2000年)

フジモリは、1990年から2000年までペルーの大統領を務めましたが、2000年に3期目の途中で政治的スキャンダルが発覚しました。彼の政権は、当時の秘密警察長官ウラディミロ・モンテシノスが関与した腐敗事件によって打撃を受け、国内外での圧力が高まりました。その結果、フジモリは大統領職を放棄し、日本に訪問中に自ら辞任を表明しました。

フジモリは日本での市民権を持っていたため、亡命し、ペルーに帰国することを拒否しました。日本では政治亡命者として保護され、しばらくの間、彼の身柄はペルー当局によって要求されませんでした。

日本滞在(2000年〜2005年)

日本での滞在中、フジモリは政治活動を行うことなく、しばらく沈黙を守っていました。しかし、その一方で、ペルー国内ではフジモリに対する逮捕状が発行され、汚職や人権侵害に関する告発が進行していました。

チリでの逮捕と引き渡し(2005年〜2007年)

2005年、フジモリは日本からチリに移動し、ペルーの政界に復帰することを模索していました。彼はペルーの大統領選挙に出馬する意向を示しましたが、ペルー当局は彼に対して逮捕状を発行し、チリ当局も彼を拘束しました。

チリの裁判所は、ペルーの要請に基づき、2007年にフジモリをペルーに引き渡すことを決定しました。彼はその後、ペルーに戻り、ペルーの司法当局によって起訴されました。

裁判と投獄(2007年〜2017年)

ペルーに戻ったフジモリは、複数の告発に直面しました。主に彼の政権時代に起こった人権侵害(特に内戦時の反ゲリラ戦争における市民殺害)や、汚職に関するものでした。

2009年、フジモリは人権侵害と汚職の罪で有罪判決を受け、25年の懲役刑を言い渡されました。彼はペルー国内で服役し、刑務所での生活を送りましたが、高齢のために健康問題も抱えていました。

人道的恩赦とその後(2017年〜現在)

2017年12月、フジモリは当時のペルー大統領ペドロ・パブロ・クチンスキーによって人道的理由で恩赦を受けました。この恩赦は、フジモリの高齢や健康状態(特に心臓病や癌のリスク)を考慮したもので、彼は刑務所から解放されました。

しかし、この恩赦はペルー国内で物議を醸し、反対派や人権団体からは強い批判を受けました。彼らは、フジモリが犯した人権侵害に対しては法の厳格な適用が必要だと主張しました。2018年には恩赦が無効とされ、一時的にフジモリの再収監が検討されましたが、彼の健康状態が重視され、事実上は自宅軟禁の状態が続いています。

大統領時の功績

きーちゃん
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フジモリ大統領の在任期間は、ペルーの政治、経済、そして治安に大きな変革をもたらしました。彼の主な功績です。

経済改革

フジモリ政権の初期は、ペルーは深刻な経済危機に直面していました。彼は国際通貨基金(IMF)の指導を受け、ハイパーインフレーションを抑えるための経済改革を断行しました。これにより、ペルーはインフレ率の大幅な低下を実現し、国際的な信用を回復しました。

ゲリラ活動の鎮圧

フジモリ政権は、ペルー国内で活発に活動していた極左ゲリラ組織「センデロ・ルミノソ」(輝く道)や「トゥパク・アマル革命運動」(MRTA)の鎮圧にも成功しました。彼は強力な軍事行動を通じて、ゲリラ勢力を壊滅させ、治安の改善に貢献しました。特に、センデロ・ルミノソのリーダーであるアビマエル・グスマンの逮捕は、ペルーの治安を大幅に改善しました。

独裁的手法

一方で、フジモリの統治方法はしばしば独裁的と批判されました。1992年、彼は「自己クーデター」を実行し、国会を解散し、憲法を改正して大統領権限を強化しました。これにより、フジモリ政権は反対派を抑え込み、強力な権限を行使しました。

教育とインフラ

彼の政権はまた、教育とインフラの整備にも力を入れました。特に、農村部の学校建設やインフラ改善に取り組み、社会基盤の整備を進めました。

病気について

引用 https://www.asahi.com/articles/photo/AS20231208000318.html

アルベルト・フジモリは、過去数年間にわたって健康問題に悩まされています。彼は、高齢による複数の病気を抱えており、特に高血圧や心臓の問題が報告されています。フジモリは、2017年に人道的な理由で刑務所から釈放されましたが、彼の健康状態が悪化していることが理由の一つとなっています。2020年代に入っても、心臓手術やその他の医療処置を受けていることが報告されています。

死因について

アルベルト・フジモリ元大統領の死因は舌がんと言われております。

胃潰瘍、高血圧、舌がんを患っていたフジモリ氏は23年12月に釈放され、今年5月には悪性腫瘍と診断されたことを公表していた。
引用 https://jp.reuters.com/economy/NBNGFX54HRJEFCQRUIUEDJIGBA-2024-09-12/

まとめ

きーちゃん
きーちゃん

今回はアルベルト・フジモリのプロフィールや経歴、功績、病気、死因について調べてみました。
アルベルト・フジモリ元大統領は、ペルーの近代史において特に重要な役割を果たした指導者です。経済危機やゲリラ問題に直面したペルーを立て直し、安定した治安と経済成長を実現した一方で、強権的な統治手法や人権問題に対する批判も根強く残っています。彼の業績は、評価が分かれるものの、ペルーの政治と社会に長期的な影響を与え続けています。晩年は健康問題に悩まされており、彼の人生は功績と論争に彩られたものでしたが、その名は今後も歴史に残り続けるでしょう。

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